ただ暗闇を灯すために百万の理由に火をつける
2007-04-09 23:22
  海の底に深く沈めていた孤独が、突然、前ぶれもなく

 浮かびあがってきた。為すすべもなく無力になった

 自分が人を求めてさまよい出てゆくのを見ている。

  自分で自分を買い支えて、日常を取りつくろうけれど

 闇に葬ったはずの悲しみや寂しさは、僕の知らない所で

 着実に積もっていて、一生懸命に空を見上げようとする

 僕の足下で、鉄の鎖となってとぐろを巻き、重く大地を

 沈めている。

  崩れ落ちてくる希望の雨が降りしきる。

  生きてゆくための理由ならいくらでも用意できるけど

 答えは死をもってしても論証されることはない。

  ただ暗闇を灯すために百万の理由に火をつける。

  悲しみを溶かすために百万の理由に火をつける。

       BY 桜タイムマシーンカフェ  
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凍って尖った毒の解凍ソフト
2007-04-07 23:54
 
 世間の人々の体にたまった「毒」が最近ちょくちょく
悪さをしている。
 子供時代、僕の心の血液は、よどみなくとてもサラサラ
流れていた。でも、時を重ねてゆく過程のなかで、少し
ずつ不純物がたまってよどみ、重くドロドロしたものに
なっていった。
 心の血液に混ざっていった不純物、それはいったい
何なのだろう。

 何の根拠も無く、今夜限りの思いつきではあるのだけ
れど、その不純物とはもしかしたら、「情報の渋滞」と
いうやつじゃないだろうか。
 血管である光ファイバーのなかを流れる純粋無垢な
電気信号の上に、大量にのしかかってくる情報群が、
インフラの自然の流れを鈍化させ、重だるくさせている。
 いつの時代も、人間は「単純な生命体」として地球の
循環のなかで本分を守って生きるということを拒否し、
現在の自己を嫌悪し、そこからの脱出を計るべく、
「自己以外の何か」を探し、所有し、飲み込み続けてきた。
そして、その「自己以外の何か」と「自己(単純な生命体)」
との間を取り持つものこそ僕らが「情報」と呼ぶものなので
はないのだろうか。
 何十万年もの時のなかで、限りなく「自己以外の何か」
を食い尽くしてきた人間達は、飽食の世紀の途中で、
直感的に「自己以外の何か」の有限性、枯渇を感じ、
次なる領域、つまりは「情報」の領域へと浸食を始めた
のではないか。
しかし、「情報」の領域へと人類全体がアクセスして
いくための思想のインフラは未だに整備されていない。
そのため、「情報」へとアクセスする人々の過剰な
クリック数が渋滞し、窮屈感、閉塞感となって個々人に
フィードバックされ、イライラをを引き起こし「毒」となる。
 
          「情報化社会」

 人々が無意識に選んだこの言葉の意味は深い。経済は
いちはやくそこに目をつけ価値を見いだしている。しかし、
その前途は多難である。市場は荒れ狂い、実体経済から
大きくかけ離れ、誰一人としてその大航海の指針を見い
だせてはいない。
 人間の前に突如として現れたこの「情報」という
不可思議な領域は、今もなお、深いベールに包まれ
ており、その全貌を表そうとはしない。

 人間が初めて「火」の領域と遭遇した時、いったい
どんな気持ちでその不可思議な存在と相対したのだろ
うか。
 何と言って声をかけたのだろうか。
 今となっては、その気分を知ることはできない。

 タバコに火をつけて、ゆっくりとくゆらせてみる

 静かに明滅するその先に、呼応しはじめた未来へ

 ・・・息を吸うように想像をはじめよう・・・

                 by 桜タイムマシーンカフェ 
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選手全員がピッチャーマウンドでひしめくプロ野球
2007-04-04 23:58
 ミニシアターで見た映画「ダンサーインザダークのラストシーンは僕にとって衝撃的でした。
 でも、本当の衝撃は映画が終わった後に訪れました。
 人に話せば、何のことはないと思われるかもしれま
せんが、 ぼくにとってはかなりの衝撃でした。
「主人公のセルマは目が見えない」このことは、映画
の始め から終わりまで繰り返し伝えられた事実である
にもかかわらず、僕は映画が終わるまで「セルマは
目が見えない」という事実に気づかずにいたのです。
「目が見えていないのは僕のほうなのだ・・・」 
 僕は日常、他人と向き合って話をしている。
 コミニュケーションだ。
 何万、何十万という言葉を対象者に 向かって投げつ
ける。映画を見るときときも同じだ。 何万、何十万と
いう視線をスクリーンに向かって投げつけている。
 当然、相手も黙ってはいない。何万、何十万の情報を
僕に 向かって投げ返してくる。そして、ぼくはそれを
受け取らない。気軽に無視している。
 僕が受け取るのは唯一、僕自身の言葉だけ。ちょうど、
子供時代に夢中なった人形遊び。人形の言葉は主人に
よって決められ、主人の望まない情報は全て闇に葬られ、
主人の言葉だけが不気味に部屋にこだましていた、あの
人形遊びの閉鎖性。これがそのまま、僕の映画に対する
スタンスであり、僕の他人に対するコミュニケーション
のスタンスでもあるのだ。    
 僕が視力を必要とするのは一瞬だけ。情報を投げつけ
るべき 目標物を確認しロックオンするまでの間だけ。
その後はもう目が見えなくたって平気。どうせ相手のこ
となんか無視してしゃべっているのだから。    
 相手から僕に向かって投げられた情報という名の
ボールは力無く地面に落ち、寂しそうにグランドの隅に
ころがっている。
 全員がピッチャーをやりたがり、キャッチャーのいな
いまま試合が行われているプロ野球のしまりのなさ。
 それなのに、東京ドームは今夜も五万人の大観衆の
熱気に包まれている。
 そう、この熱気だけが、ふざけた野球の試合を正当化
する唯一の支え。
 そして今夜も映画のラストシーン。
 例のごとく、僕はあの熱気に支配されて、映画を見な
いまま感動の涙を流している。    
                            
おやすみなさい  

        by 桜タイムマシーンカフェ 
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桜タイムマシーン
2007-03-30 19:20
宇宙船でワープしてるような早さで時間が過ぎて
いきますが、いかがお過ごしですか?

桜が舞い散る中を自転車で疾走して帰る途中に、
高校時代となんにも変わってない自分に気づいて、
もしかして自分は、高校時代からタイムスリップを
して、ついさっき2007年に現れたばかりで、
また高校時代にタイムスリップして帰っていくので
わないかという思いが頭をよぎりました。

十年前も桜は春一面に舞っていたし、十年後も
きっと同じように花盛りなのでしょう。

桜の木の下で時間旅行な一日でした。

by 桜タイムマシーンカフェ 
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